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水戸地方裁判所下妻支部 昭和34年(ワ)86号 判決 1960年9月09日

原告 中村兵左衛門

被告 押坂安吉

主文

被告は原告に対し末尾表示の土地(図面表示(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ハ)の各点を結ぶ線内九十八坪及び(ト)(チ)(ヌ)(リ)(ト)の各点を結ぶ線内二百三坪)を明渡すべし。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において金三万円の担保を供するときは仮にこれを執行することができる。

事実及び理由

原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、末尾表示の土地は、原告の所有であるところ、これに西隣せる土地を所有使用しつゝあつた被告は何等の権原もないのに、昭和三十三年一月頃、この地上の松立木を無断で伐採して侵入、以後これを不法に占有中のものである。よつて本訴においては、第一次には、右両地につき所有権に基き明渡を求め、内千三百四十三番の二の土地については予備的に占有権に基き占有保持の為め明渡しを求めると陳述し、被告の主張に対して(一)下館市大字玉戸(旧茨城県真壁郡大田村玉戸)字伊房地千三百四十三番の二は、元公簿面畑一反二畝十八歩(実測二反七歩)であり、訴外板谷軍蔵の所有地で、訴外木下祐一がこれを賃借耕作しつゝあり自作農創設特別措置法の施行により、旧大田村農地委員会では、昭和二十二年十月二日の計画によつて、これを右地主より買収し、右耕作人への売渡をきめ、右買収手続は遅滞なく行われたが、売渡手続のみが、後記事情によつて遅らされてあつた。(二)同字千三百三十八番地の一山林は元六反四畝二十四歩で、古くから原告の所有地であり、昭和二十八年一月七日に、これを同番の一の四反四畝十一歩と同番の四の二反十三歩とに分筆し、同番の四は、現在被告の所有地となつている。(三)旧大田村は、昭和二十七年に至り、右両土地の北東方一帯の土地をトして中学校の建設を企てたが、偶々被告の居住宅地、畑等実測三反五畝二十五歩がその計画土地内に入り、村対被告間の交渉で、等畝歩による交換の約束成立し、更に村当局から原告へも右中学校建設実現の為協力方を要請され、同年七月同村と原告間で、原告は同村へ、同字千三百三十八番の一山林の内北西部の実測三反五畝二十五歩を譲り、村は前記(一)の畑と外二筆実測一反一畝二十五歩の山林を原告へ所有権移転する旨、並びに双方の反別の差は、反当二万円の割合を以つて現金で決済する旨の交換契約が成立した。(四)旧大田村は右(三)により原告より交換取得すべき同字千三百三十八番の一の内の山林を、被告との交換敷地に充つべく、被告と交渉したが、被告は右地域が公道に直通しないことなどを理由として不服を唱へ、村より被告に対する代換地を右千三百三十八番の一の山林の一部と(三)により村が原告へ提供すべき千三百四十三番の二の畑の一部とを併せた三反五畝二十五歩に改められたい旨強く村へ要請したため、右(三)の契約後間もなく、村対原告間の契約は原告の村へ提供するものは、同字千三百三十八番の一の山林中の二反一畝十三歩、村の原告へ提供すべきものは、同字千三百四十三番の二畑中の東部五畝二十五歩と別地域二筆とに変更され、又同時に村対被告間では、前記中学校敷地に供せらるべき旧被告所有地に対し、右原告より取得すべき山林二反一畝十三歩と同字千三百四十三番の二畑中西部の実測一反四畝十二歩との合計実測三反五畝二十五歩を以つて交換する旨の契約が成立した。そして右三者間に、手続の便宜上、原告の山林は、所要区域を原告の名によつて分筆して直接被告へ売渡登記手続をなし、同字千三百四十三番の二の畑は村農地委員会に諮りて、買受申請人で、法律上買受資格者である、訴外木下祐一にその権利を村へ提供させ、同地を原告へ五畝二十五歩と被告へ一反四畝十二歩(千三百四十三番の四を新設して)とに分割し、右一反四畝十二歩を被告に交付すること、但し当時原告は村外居住且つ非耕作者であるため、形式上は、右同字千三百四十三番の二の畑は、右のように分割することに定めたが右手続上一応以前の形のまま被告へ売渡手続を執り、後日適当の時期に右の如く分筆手続をなして右五畝二十五歩は、被告より原告へ所有権移転登記の手続を執るべきことの契約が成立したのであり、すなわち同字千三百四十三番の二の畑は、右一反四畝十二歩以外の部分については、被告に所有権取得の原因は全くないのみならず、何等の権利も取得したものではない。却つて右地域については、後日適当な時期に内五畝二十五歩の分筆、農地法の手続を尽して原告へ所有権移転の登記手続を村と協力してなすべき債務を負担して居たものである。そこで昭和二十七年十二月中、右同字千三百三十八番の一及び同字千三百四十三番の二共、村側において実測の上、右記の通りに現実に分割して、村当局立会の上原被告へ交付引渡しされ、以後その地域を各自占有使用しつゝあつたものであり、右の際、被告に引渡された土地は、末尾図面(イ)(ロ)(ヘ)(ホ)を順次結んだ地域内三反五畝二十五歩、原告の交付を受けた地域は、同図面中の同字千三百四十三番の二と記した三角形五畝二十五歩であつた。そして原告の為すべき山林の分筆、被告への登記手続及び村農地委員会の売渡計画の変更等の手続は、同二十八年六月二十一日までに滞りなくこれを了へた。(五)然るところ、被告より知人を介して原告に対し、右原告所有たる同字千三百四十三番の二、千三百三十八番の一の内、被告所有地へ東接する地域の譲渡申込があつたので、同二十八年十月十八日右二筆の土地の内三百坪を代金十四万円と定め、その代金完済と同時に所有権を移転し、その登記をする定めによつて被告へ売渡し契約をなし、前記図面(ロ)(ハ)(ト)(ヘ)の四点を連ねた地域を売渡し区域と約して被告へ交付、以後使用させていたが、代金は昭和三十年一月十一日(七月十一日の誤記と認む)までに漸く支払われたものである。被告は、右代金支払と共に右土地の登記方を求めて来たので調査したところ、被告は不法にも右売買地域を越え、末尾図面(ハ)(ニ)(ヌ)(チ)(ト)(ハ)を連ねた地域の立木をも伐採し、この地域をも不法に占有使用しつゝあることが判明、更には前記の如き関係者の合意によつて、原告所有となつた地域をも含めて、形式上被告への単独名義によつて同字千三百四十三番の二が全部売渡手続を執られてあることに藉口し、右同字千三百四十三番の二は、全部自らの所有に帰したとなし従つて右原告より買受けた土地は、同番を含まない同字千三百三十八番の一山林内だけの三百坪であると主張し出し、不法占有地域の所有権取得を主張し、これが登記手続を要求して来たものである。(六)なお農地法上農地の所有権移転には、都道府県知事の許可を要すべく、本件の場合同字千三百四十三番の二が農地であり、これについての叙上村と原被告の三面契約は、知事の許可を受けていないから、これによつては直ちに右五畝二十五歩につき、原告が所有権を取得したとは云い得ないかも知れないが、右三面契約は、全然無効と云うべきではなく、原告は村及び被告に対し農地法の手続を尽して所有権移転手続を為すべき請求権を取得し、村と被告とはこれを為すべき債務を負担するの効果は、少くとも発生したものと云うべきであり、又進んで本件の場合は、村は村農業委員会と共同して事に当り、前示交換に当ては村農業委員会において、本件農地を現地で分割、原被告へ交付したものであるから、それぞれの時から双方共その受けた部分に対する占有使用の権能が生じたものであり、それに基いて原告は既述の同字千三百四十三番の二の畑中の東部五畝二十五歩を占有していたものである。(七)被告抗弁の土地三百坪買受契約の目的物は、被告が村から交換取得した二筆の土地の東側に接着する同字千三百三十八番の一山林中の一部と前記千三百四十三番の二の一部を合せた地域の三百坪であつて、これが原告主張の末尾図面(ロ)(ハ)(ト)(ヘ)の四点を順次結んだ地域(実測三百六坪)以外に出ないことは検証、鑑定、乙第三、四号証の記載等によつて極めて明らかであり、右売買契約によつて、被告は同字千三百三十八番の一の山林の内には完全な所有権を、千三百四十三番の二の畑の内については占有使用の権利を原告から取得し且つ原告は前示被告へ負うた債務を免除された効果を生じたものであり、従つてその余の地域たる千三百三十八番の一の山林中の末尾図面(ヌ)(リ)(ト)(チ)の四点を結んだ二百三坪、千三百四十三番の二畑中同図面(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ニ)を結ぶ九十八坪の占有を開始したことは、原告の所有権なお後者については少くとも占有権を妨害したものといわなければならない。と附陳し、以上原告の主張に反する被告の答弁並びに抗弁事実はこれを否認すると述べ、立証として甲第一号証乃至同第五号証を提出し証人川田清、同杉山彦市、同堀米昇一郎、同高正彦三郎の各尋問、原告本人の尋問、鑑定人菊池平馬の尋問、及び現場の検証を求め、乙第一号証乃至同第七号証、同第九号証、同第十号証の成立を認め、同第八号証は知らず、同第三号証、同第四号証を利益に援用すると述べた。

被告は、原告の請求はこれを棄却する。訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、答弁として縷々陳述するが、これを要約すれば、被告が原告請求原因として主張する下館市大字玉戸字伊房地千三百三十八番の一の土地を原告主張のように占有使用していること及び該地上に生立していた松の木を伐採したことは認めるが、右は昭和二十八年十月十八日、原告と売買契約を為し、代金十四万円で買受け、これが所有権移転登記は、代金の支払を完了したときに為すことゝ定め、同日金一万円その後三回に亘り、最後は同三十年七月十一日代金を全部支払い済の上、それ以来立木を伐採し開墾の上引続き畑として耕作管理をしているもので、正当の権原に基き占有しているものである。なお被告が原告より買受けた土地は、被告所有の同字千三百四十三番の二と同字千三百三十八番の四とに近い部分にある原告所有の右同字千三百三十八番の一の内末尾図面(ヘ)(ト)(チ)(ヌ)(リ)(ル)(ヘ)の各点を結ぶ線内に属する三百坪であつて、この地域の分割登記は後日するが、大体三百坪と見当をつけて開墾してもよいとの原告の承諾を受け、大体村役場において測量した標識のある部分に従つて、三百坪として定め、開墾したものである。その後被告より右買受土地について、所有権移転登記を請求したところ、原告はその大番頭を代理として、測量師に依頼し、測量の上、右売買土地の面積が三百坪に達しないような測量図面を作成し、被告に示したので、被告は売買契約と相違する旨申遣り、遂に未登記のままになつているので、被告は別訴においてこれが所有権移転登記手続の請求をしている次第であり、なお原告が作成した土地売買契約書に同字千三百三十八番の一の外千三百四十三番の二と記載したのは同地は既に被告の所有であることを知らずして誤記したものであり、売買土地は右二筆の内三百坪ではなく、千三百三十八番の一より分筆して売却する三百坪なのである。原告附陳の(一)乃至(四)の事実については略争はないが被告の分については、すべての手続は完了していると陳述し、立証として乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三号証乃至同第十号証を提出し、証人杉山彦市の尋問及び現場の検証を求め甲第一号証は、村長の印影を認め、その余は不知、同第二号証乃至同第四号証はいずれも不知、同第五号証は市長の印影を認めその余は不知と述べた。

本件弁論の全趣旨に徴するに、原告が本訴において被告に対し明渡を求めている土地(末尾図面(ハ)(ニ)(ヌ)(ト)(ハ)の地域)を開墾の上占有畑として現に使用中であることは当事者間に争がない。

又(一)下館市(旧茨城県真壁郡大田村)大字玉戸字伊房地千三百四十三番の二が公簿面積畑一反二畝十八歩で実測二反七歩あり、元訴外板谷軍蔵の所有地で、これを訴外木下祐一が賃借耕作していたこと、旧大田村農地委員会が原告主張の頃、自作農特別措置法上の計画により右地主より該土地を買収したこと、そしてその売渡の手続が後記事情によつて遅延していたこと。(二)同字千三百三十八番の一山林は従前から原告の所有地であり、元六反四畝二十四歩の面積であつたところ、原告は昭和二十八年一月七日、これを同番の一を四反四畝十一歩と同番の四、二反十三歩とに分筆し、同番の四は現在被告の所有地となつていること、(三)旧大田村は昭和二十七年中、右両地の北東方一帯の地をトして中学校の建設を計画したが、偶々その計画土地内に被告の居住する家屋の存在した宅地及びその周辺に畑等合計実測三反五畝二十五歩の土地が存在したこと、そこで当時右大田村と被告間の交渉で、等畝歩で附近の土地と交換する契約が成立し、一方同村から原告へも右中学校建設の為協力方を要請され同年七月同村と原告間にも一旦原告は同村へ同字千三百三十八番の一山林(右分筆前)の内北西部の実測三反五畝二十五歩を交付し、同村からは原告に対し同字千三百四十三番の二畑、実測二反七歩外山林二筆一反一畝二十五歩合計三反二畝二歩を交付し、不足分は反当二万円の割合を以つて、現金で決済することの交換契約成立したこと、(四)大田村は右(三)により原告より交換取得すべき同字千三百三十八番の一の内の山林を被告との交換敷地に充つべく、被告に交渉したところ、右地域が公道(下館、古河両市間に通ずる県道)に直通していないことなどを理由として被告は不服を唱へたため、村より被告に対する代換地を、右同字千三百三十八番の一の内山林の一部と(三)により村が原告へ提供すべき同字千三百四十三番の二の畑の一部とを合せた三反五畝二十五歩に改められたい旨被告より強く村へ要請したため、原告は右(三)の契約後間もなく、村との間の契約は原告より村へ交付すべき土地は、同字千三百三十八番の一の山林中の二反一畝十三歩と別地域二筆及び同字千三百四十三番の二畑中の東部五畝二十五歩と変更され、又同時に村対被告間では前記中学校敷地に供せらるべき旧被告の所有地に対する代換地として、村からは村が原告より取得すべき同字千三百三十八番の一山林中の二反一畝十三歩と原告が村より取得すべき同字千三百四十三番の二の畑中西部の実測一反四畝十二歩(新に同番の四として分筆する予定地)との合計実測三反五畝二十五歩を被告に交付する旨の契約が成立したこと、そして右原告、村、被告の三者間に、手続の便宜上、原告の山林は、所要区域を原告の名によつて分筆して、直接被告へ売渡登記手続を為し、同字千三百四十三番の二の畑は村農地委員会に諮つて、買受申請人で法律上買受資格者である訴外木下祐一に、その権利を村へ提供させ、同地を原告へ五畝二十五歩と被告へ一反四畝十二歩(千三百四十三番の四を新設して)とに分割し右一反四畝十二歩を村より被告に、五畝二十五歩を同じく原告に交付すること、但し原告は村外居住者で且つ非耕作者であるため形式上は、右千三百四十三番の二の畑は、右のように分割しない以前の侭の形にて、一応被告へ売渡手続を執り、後日適当の時期に、右の如く分筆手続を為して、五畝二十五歩は被告より原告へ所有権移転登記手続を執るべきことの契約が成立したこと、よつて昭和二十七年十二月中右千三百三十八番の一及び千三百四十三番の二共村側において実測の上、前記の通り分割して、村当局立会の上原被告へ交付引渡しされ、以後その地域を各自占有使用しつゝあつたものであること、右の際被告に引渡された土地は、末尾図面記載の(イ)(ロ)(ヘ)(ホ)を順次結んだ地域内三反五畝二十五歩、原告の交付を受けた地域は、同図面中の同字千三百四十三番の二と記した三角形五畝二十五歩であつたこと、そして前記山林の分筆、被告への登記手続及び村農地委員会の売渡計画の変更等の手続は同二十八年六月二十一日までに終了したことは当事者間に争がない。

次に昭和二十八年十月十八日原告と被告との間に、土地三百坪を代金十四万円で原告が被告に売渡し、その代金完済と同時に原告より被告に対し売渡土地の所有権を移転し、且つその旨の登記手続を為すべきことを約し、被告より昭和三十年七月十一日までに該代金が支払われたことは当事者間に争がない。しかしその売買の目的地については、叙上のように原告は、その地域は被告が村から代換地として旧大田村から交換によつて取得した同字千三百三十八番の四の山林二反一畝十三歩と、これに南接する同字千三百四十三番の二(仮称千三百四十三番の四)中一反四畝十二歩とに併行して東接する末尾図面(ロ)(ハ)(リ)(ト)(ヘ)(ル)(ロ)を結ぶ線内の実測三百坪が、本件売買の目的地であると主張するが、被告は同字千八百三十八番の一地域同図面(ル)(リ)(ヌ)(チ)(ト)(ヘ)(ル)を結ぶ線内の三百坪であり、同字千三百四十三番の二の畑中(ロ)(ハ)(リ)(ル)は前記村と被告との交換契約により当然被告の所有地となつたものであり、これを含まないと主張するのであるが、被告において村長の公印部分の成立を認め原告本人及び証人川田清の各供述によつてその余の部分についても真正に成立したと認める甲第一号証(大田村長と原告間の土地交換契約書)成立に争ない乙第三号証(原告と被告間の売渡契約書)同第四号証乃至同第七号証(各土地代金領収書)の記載と証人高正彦三郎、同川田清、同杉山彦市、同堀米昇一郎及び原告本人尋問の結果並びに鑑定人菊池平馬の鑑定の結果を綜合考覈すると、原告は下館市(旧大田村)玉戸字伊房地千三百三十八番の一山林(現況畑)と、前記村との交換によつて取得した同字千三百四十三番の二の内畑五畝二十五歩の内の一部を右原告主張のとおり末尾図面(ロ)(ハ)(リ)(ト)(ヘ)(ル)(ロ)の各点を結ぶ線内三百坪を被告に売渡したものであること明瞭である。尤も成立に争ない乙第二号証の一(売買登記済証)同号の二(売渡通知書)及び同号の三(茨城県真壁郡大田村農地委員会農地売渡計画書)同号の四(登記済証)の記載によれば、下館市(旧茨城県真壁郡大田村)玉戸伊房地千三百四十三番の二畑一反二畝十八歩(公簿面)全部を自作農創設特別措置法の規定により、被告の所有名義で売渡され、且その旨登記手続が為されているが、これは前記甲第一号証、証人川田清の証言及び原告本人尋問の結果に徴し、同畑の内被告が右村と交換によつて取得した部分(末尾図面(イ)(ロ)(ル)(オ)を結ぶ線内、枝番として千三百四十三番の四を新設する予定地)実測一反四畝十二歩については正当であつてこれを認むべきであるが、その余の部分(同図面(ロ)(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ル)(ロ)を結ぶ線内)実測五畝二十五歩については、原告が非在村非農家である関係上、後日正式な法律上の手続を履践するまで、形式上一応被告の名義で売渡計画がなされ、そのとおり登記されているに過ぎないもので、被告は実質上の所有権を取得したものということはできない。(但しその後売買により被告は同図(ロ)(ハ)(リ)(ル)の部分も実質上の所有権を取得した)。農地法第三条によれば農地の所有権の移転を為すには、当事者が都道府県知事の許可を得なければならず(第一項)その許可を受けないでした行為は、その効力を生じない(第四項)ことと定められているので、或は前述の如く非農家で非在村者である原告には、同法上農地買受けの資格がないから、斯る場合には、仮令村長と前記原告主張のような農地を含む交換契約が成立したとしても該農地については決して原告は所有権を取得するものではないとの見解もあるかと思うが、右交換するに至つた事情を仔細に検討すると、旧茨城県真壁郡大田村及び嘉田生崎村が、未だ下館市に合併する以前、中学校組合を設け、大田村長川田清が管理者として、同村内に中学校を建設するに際し、大田村当局としては、本来このような場合は、土地収用法を適用して被告の所有宅地及びその周辺の畑地を収用すべきであるのに、中学校の敷地を得るため同村が村農地(業)委員会と共に、その斡旋を為し、被告に対し代換地を交付し、被告を平穏裡に他へ移転させることゝし、その代換地に充てる為め、本来これとは何等の関係もない当時下館町在住の原告に対し、村の要請により、原告と村との間被告と村との間に前記交換契約が成立したのであつて、単純な個人間の契約ではない。すなわち当事者は、公共の目的を達する為め、村当局及び村農地(業)委員会を信頼し、犠牲的精神を以つて交換契約を結んだのであり、決して私利私慾のため農地法の規定を潜脱する意図を以つて該契約をしたのでもないのでこの契約は充分に尊重され、且つ保護されなければならない。そもそも農地法がその第三条において都道府県知事の許可なくして農地の所有権の移転をした場合、私法上の効力を生じないとし、一方同法第九十二条の罰則を以つて第三条違反の行為を取締る所以のものは、擅に個人相互間でなされる農地の売買等を規制し、農地法の規定を潜脱する行為を禁止せんがためであり、本件の場合のようにその行為の目的、動機が正当であり、各当事者に何等農地法を潜脱する意思があつたことも認められず、而かも地方自治体である村及び村農地(業)委員会が介在し半ば公権力によつて同字千三百四十三番の二の畑の内被告に属する実測一反四畝十二歩を正式に分筆し名実共に被告の所有としその余の五畝二十五歩を合法的名目を以つて名実共に原告の所有とすることの手続上のことは後日村及び農地(業)委員会が斡旋して実行することとし、一意中学校建設に協力するため前記各交換契約をしたもので、事実そのように引渡があつた以上、村及び農地(業)委員会が、速かにかゝる権利関係を明確にする手続を実現すべき措置に出ることなく、今日迄放任し、徒らに当事者間の紛争を醸させるに至つたことについては、或は非難さるべき点があると思われるがそれは別問題として、以上のような事情から見て、村対原告、村対被告間の以上交換契約は、たとえ県知事の許可を得なくとも、これが許可あることを条件として有効であり、契約の際原告及び被告、村共各交換地の所有権を取得したものと認むべきである。(昭和二八年(オ)第三一五号、同二九年七月一六日最高裁第二小法廷判決参照)仮に以上のような交換契約であつても、知事の許可がなければ農地法上効力が生じないとするも、農地法第三条第一項第六号の場合は知事の許可を要しないのであり、旧大田村が中学校を建設する敷地獲得の為め、被告の宅地及び畑実測三反五畝二十五歩を土地収用法による強制力を用いないで、他に適当な代換地を交付して、他に移転させることゝし、被告の代換地に充てるために同村より原告に要請があり、前記三者間の交換契約が成立したのであり、この際は原告の本来の所有地が土地収用法の収用の対象となつた訳ではないが必然的に関連があり同号の規定を準用して、前記三者間の交換契約は、知事の許可を受けなくとも、有効であると認むべきである。

以上いずれの点よりいうも、前記交換契約が有効であるとすれば右交換契約によつて被告の受くべき土地は同字千三百四十三番の二の畑についてはその内末尾図面(イ)(ロ)(ル)(オ)(イ)を結ぶ実測一反四畝十二歩(これを同番の四として分割する予定)に止り、その余の実測五畝二十五歩は原告の所有地となつたものである。その後昭和二十八年十月十八日同図面(ロ)(ハ)(リ)(ル)(ロ)点を結ぶ三畝五歩は前記のように原告より被告が買受けたものであるからこれを占有使用することは差支ないが、同番の二のその余の部分(末尾図面(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ハ)を結ぶ線内九十八坪)は、原告の所有地であり、被告としては何等の権利も有しないから、これを占有使用することは許されない。

被告は、同字千三百四十三番の二の畑全域について形式上の所有名義人になつていることに藉口し、今更自己の所有になつている部分を含めて同番の二に跨る末尾図面(ロ)(ハ)(リ)(ル)の地域までをも前示売買の目的物とするいわれなく、原告との土地売買契約書(乙第三号証)に千三百四十三番の二も売買の目的地であるように記載があるのは誤記であると主張し、原告所有の同字千三百三十八番の一の山林中末尾図面(ト)(チ)(ヌ)(リ)(ト)の山林二百三坪とも擅に松の立木を伐採して開墾し、畑として使用している外、右同字千三百四十三番の二の畑の内原告より買受けた同図面(ロ)(ハ)(リ)(ル)の地域九十五坪の外、前記のように、原告の所有であるその余の部分(同図面(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ハ)の地域)をも占有しているが、到底これを正当として容認することはできない。

なお、被告は、前記交換契約によつて、被告の取得した土地は、同字千三百三十八番の一より分割した同番の四の二反一畝十三歩と同字千三百四十三番の二公簿面一反二畝十八歩(実測二反七歩)全域であると主張するのであるが、若しそうだとすれば、被告の交換によつて村より取得した土地は、合計四反一畝二十歩となり、前記三反五畝二十五歩より遥かに過大となり、意外の利得をすることゝなる反面、原告の取得すべき土地は著しく過少となり、前記交換契約は無意味に帰することゝなるのみならずこれを証明する資料はない。

叙上説明のとおり被告が主文掲記の末尾表示の土地すなわち下館市大字玉戸字伊房地千三百四十三番の二畑一反二畝十八歩(実測二反七歩)の内同図面(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ハ)点を順次結んだ線内に属する地域九十八坪及び同字千三百三十八番の一山林四反四畝八歩の内同図面(ヌ)(リ)(ト)(チ)(ヌ)の各点を順次結んだ線内に属する地域二百三坪を占有使用することは、全くその権原がないから、不法にこれを占有するものというべく、これが明渡しを求める原告の本訴請求を正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条、仮執行の宣言につき同法第百九十六条を適用し主文のとおり判決する。

(裁判官 黒羽善四郎)

土地の表示

一、下館市大字玉戸字伊房地千三百四十三番の二畑一反二畝十八歩(実測二反七歩)の内同土地の南西隅角点を(イ)点とし、(イ)点より同土地とこれに南接する県道との境界線に沿いて東北方へ二十二間七分五厘延長した点を(ロ)点とし、(ロ)点から同じく県道との境界線に沿いて東北方へ七間五分延長した点を(ハ)点とし、(ハ)点から更に同一方法で東北方へ十七間三分延長した点を(ニ)点とし、(ニ)点からこれと北隣する山林との境界線に沿いて西北方へ十三間五分の点を(ヌ)点とする。

別に同字千三百三十八番の四の土地の北西隅角点を(ホ)点とし、(ホ)点からこれと北隣する山林との境界線に沿いて東南方へ二十三間の点を(ヘ)点とし、(ホ)(ヘ)の二点を結ぶ直線を東南方へ(ヘ)点から七間二分延長した点を(ト)点とし、この(ト)点と前記(ハ)点とを結ぶ直線上で(ハ)点から北方十一間九分の点を(リ)点とし右(ハ)(ニ)(ヌ)(リ)(ハ)点を順次結んだ線内に属する地域九十八坪。

二、同字千三百三十八番の一山林四反四畝八歩の内前項表示の(ト)点から同表示の(ヘ)点と(ト)点とを結ぶ直線を東南方へ十間五分延長した点を(チ)点とし、(チ)点と前項表示の(ヌ)(リ)(ト)(チ)(ヌ)の各点を順次結んだ線内に属する地域二百三坪。

図<省略>

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